わたしの涙の断乳

あまり自分の話はしないのですが、今日は自分の子育ての話をしようと思います。

双子が産まれてすぐ、自身が助産師だと言うこともあり「母乳でできれば育てたい」とこだわっていました。こだわるのはよくないと分かっていたのですが、やはりホルモンのバランスには勝てませんね。

自分の力で子どもを立派に育てるんだ!!

そうやって頑張っていました。

夜中一人が泣き出し(双子だったので二人います)不憫に思った母が「ひとり預かろうか」といって一人を連れて行こうとしたとき、走って追いかけて「わたしが二人をみてるんだから邪魔しないで!」と母に言い放ってしまった日のことを今でも思い出します。


母になるんだ。自立するんだ。と意気込んでしまっていたのだと思います。

自立は大事なことだけれどやはり時間はかかるもの。

焦らずに周りに頼りながら進んでいけばよかったです。


そんなこんなしながら、はじめは混合栄養であった授乳も、半年もすれば完全母乳になり、満足した育児ができるようになりました。。。


いいえいいえ。


満足だったはずの完全母乳育児、実は腰に負担がかかり、カロリーもかなり必要となり、私自身は衰弱していきました。(いまでは考えられないくらいスリムでした)また、夜中一人が泣き出すともう一人も泣き出してしまうため、起きたらすぐに乳頭を口にくわえさせあやす、を繰り返していたため、授乳が癖となり一日に20回もの授乳を行っていました。


授乳をしていれば赤ちゃんは落ち着いているのであまり外出もせず、授乳が日課となっていたのです。二人あわせれば30回ほどの授乳でした。。。


そうこうしているうちに双子は2歳となり、

ついに私の腰が限界を迎えました。。。

ある日腰がうごかなくなり、はいつくばってトイレに行くなど日常生活に支障を来し始めたのです(>_<)


「もう限界だ」


でもこの悩みを一体だれに相談すればよいのか・・・


助産院に連絡したら、授乳は素晴らしいから楽に続けてみたら?と言われるかなとか妄想してみたり。


憧れの授乳。こだわった授乳。でも辛い、やめていいのか。分からない。助けて欲しい。


とっさに母子手帳にかかれた市役所の相談窓口に電話していました。


でてくれた方は、Iさんという助産師でした。

「わたし、まだ、授乳していて・・・もう腰もいたくて、動けなくて、おなかもすいて、どうしたらいいか、実家も遠くて旦那の帰りも遅くて、夜中も合わせると30回も授乳をしていて・・・」支離滅裂にたくさん話し、その間「そうなの、そうなの」と聞いてくれるIさん。

わたしのすべての苦痛をはなしたあと、こういわれました。


「よくここまで頑張りました。」


私の目からは涙が止まらなくなり、返す言葉も見つかりませんでした。

そして、Iさんは言いました。

「あなたが辛いのなら、やめてもいいのよ。大丈夫よ。」


そのとき、わたしはやっと気づいてたのです。頑張っていた自分に。

それと同時に頑張ってきた自分を愛おしく思いました。


もういいんだ。

おわっても、愛情が終わるわけではないのだから。


たくさん泣いた後、「ありがとうございました」といって電話を切りました。


それから1週間ご、無事に断乳をして、

朝まで授乳しないでも寝てくれる子どもを見て

「おっぱいたくさん飲んでくれてありがとう」


そんな思いになりました。


あこがれの授乳はこうして幕をとじました。


こんなに長く私を学ばせてくれた臓器はほかにありません。


授乳についての相談は一番多いです。

どうしたら飲めるか、どうしたら母乳のみになるのか、どうしたらいいか、質問や不安がたくさんあるでしょう。


女性は産まれながらに、

生理がくるかどうか

出産できるかどうか

おっぱいがでるかどうか

子育てがうまくできるかどうか


そんな呪縛とたたかっている気がします。


でも、やってみて思うことはただ一つ。

現象じゃない。あなたがあなたらしく生きていればいいといいということ。

おっぱいが出なくてなんなのでしょうか。

助産師がこんなこといったら怒られちゃいますね(^_^;)


あなたがあなたらしくあるために一緒に寄り添いたい。

そんな助産師になりたい。


だから「こうしなさい」なんてアドバイスはありません。


あなたがなりたい自分を知り、気づいていく、それだけで充分。


お母さんが生き生きしていたら、もちろん赤ちゃんも生き生きするんですよ。

そしてパパやその周りの人までいきいきしてきます。


辛いときは話しましょう。あなたの辛さ分かりますよ。一緒にいたいです。

頑張っているママたちに届くといいな・・・

わたしはあなたたちが大好きです。



追伸

わたしがお世話になったIさん。わたしはその後すぐに市役所の面接を受け、同じ職場で働くことになりました。そこで、Iさんと働いた時間は今でも私の宝物。


「女性が女性らしく生きていく、それをわたしは見ているだけなの」

彼女はもう引退してしまいましたが、わたしの心にずっと残るでしょう。

彼女はお産もしていない結婚もしていない助産師でした。

わたしは彼女みたいな助産師になりたいのです。




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