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5/30に子育て会を開催しました

写真はその時のワーク内容です

とにかく人と会って

子育てのやり方ってこんなに違うんだって思えたらいいなと思います

それがねらいです

応えがないことが多いですし

そもそも母も子供もパートナーも皆さん全然ちがうのですから

むかし双子会に子供を連れて行ったときのこと

よく愚図る自分の息子への対応に迷いがあったのですが

隣のお母さんがわたしの子供に叱ってくれたことがありました

「それはだめだよね!だって壊れてしまうとみんなが困るでしょう」

そんな風に叱る様子をみて私は 「あーそんな風に叱ってもいいんだ」 とホッとしました

逆もあります

子供に言うことを聞かせる事に焦点を合わせないで その子が集中してることを引き伸ばせばいいという考えのママがいて

言うことを聞かないはずの息子を上手くナビゲートしてくれてとても助かったことがありました

「なるほどそんな風に視点を変えればいいのか」

実は助産師が与えられる事なんてほんの一ミリくらいで 残りはママ力(ままかじゃなくてママちから)で乗り越えられます

潜在的に子育てする力は誰しもが持っているのです

教科書がないしアドバイスする方もそれぞれのアドバイスをするため応えがなく

戸惑っているだけなのです

これはパパもしかりです

悩んでいる方に共通することは 独自のこだわりが多数存在することで

そのこだわりが応えがない大したことないことだと分かれば

案外楽にやっていけるのかもしれないのです

だから 色々な人が存在する子育て会はとても貴重な場所になります

要は応えがないことに気付けるチャンス

自分なりに育てて行けば良いことを気付くチャンスなのです

ごちゃごちゃ まぜまぜの 子育て会はとても大切なのです

また子育て会を開催します🌈

こんな会を開催したい!など案があればどしどし声をかけてください

2024年がはじまりました

卒乳についての問い合わせ多数いただいております

そこで感じたことなのですが


卒乳・断乳??添い寝・独り寝??

泣いたら抱っこで寝かせる?一人で落ち着けるか見守る?

喧嘩したら間に入る?子どもがどうするか観察する?

良くある質問ですがこれらは簡単に表現すれば、放任か手厚い対応か(もちろんそんな簡単なことではないのだけれど)

という同じような課題で、子育てする中で必ず直面する課題だなと感じています


子育てって手放す時期が肝心?

自転車に乗れるようになるためには自分でバランス感覚を養う事が必要で

いつまでたっても後ろをサポートしていては乗れるようにはなりません

ある程度手を離してあげないと一向に乗れはしないのです

たとえこけたとしても乗れる子どもをイメージしてサポートしないと

子ども自身が乗れている自分をイメージすることはとても難しい事です


それと同じように子育てには手放すべき時期が度々訪れます

生後6ヶ月くらいまでは本当に養育者の手はかかせません

例えば授乳をしたりミルクをあげたりオムツを替えたり移動を手伝ったり

でも首が座りある程度動けるようになったあとは

むしろどうやって手放していくかが必要になってきます


手放さなくてもいいじゃないか と言われるかもしれませんが

その感情は 子どもを思うが故の思いなのでしょうか

よく聞いていくと「この子には私が必要」

「ずっと育児をしてきたのに急に手をはなせっていうの?」

「隣にこのままずっといてほしいのに」

「小さい時が一番可愛いかったわ 大きくならないで」

など このまま近くにいて欲しいという養育者自身の寂しさを感じるのです


1歳くらいになると子どもは何でも自分で自分でってやりたがる時が来ますよね

あれは正常な成長で喜ばしいことです

そんな時に「良しやってみていいよ」そんな風に返せたら子どもはすぐに出来るようになります

ですが「まだできないわよ手を持っていてあげる」という対応だと中々できるようにはならない

そして子ども自身も「わたしはひとりで出来るようにはならない」と思ってチャレンジをやめてしまう事さえあります

最も そんなやりとりすら楽しんでいるのなら全然問題は無いのですが(*^_^*)


なぜ我が子は上手くできないのだろう 

そんな悩みの奥底にはそんな手放せ無さが潜んでいるかもしれません


※※※※※

子育てって奥が深いですね

ご家庭の中ではどんな子育てをされているのか中々みることはないので

考え方の違いに はっと気付かされます


そんな私はというと・・・

恥ずかしながら実はまだ子どもを手放せていません

先日 中学生の子ども自身から「もっと私たちを信じて」と言われてしまったのです

子どもも気付いているのですね

信じきれていないという気持ちのそばにあったずっと側にいたいという気持ちに


「私がいないとダメでしょう」「まだ一人では立てないでしょう」

ではなく

「この子なら大丈夫」「きっと私がいなくても羽ばたける」

そう思って胸を張って進んでいけるよう皆様とともに今年も歩んで生きたいと思います


最後にマザーテレサの一言

「世界で一番恐ろしい病気は 孤独です」

養育者の手放せさの中にある“寂しさ”

孤育てという文字が日本から消え 子育てが一段落した後もその人らしく生きていけるよう

サポートしていきたいと思います


※大きな地震に遭われたれた方のためにお祈りいたしております

どうか近くに暖かな助けがありますように

必要な方には無料で相談承りますので遠慮無くご連絡ください

パパの子育て

「ママにサポートはたくさんあるけど僕たちパパにはあまりない。」

最近、

自宅ワークであったり

育休であったりと

子育てに頑張っているパパさんによく遭遇します。

「他のパパは一体どこまでやっているのか」

「僕は何をするべきなのか」

意見を求められます。

本当ですね、パパ同士って会ったりする機会や学ぶ時間が余りないですものね。

ママにはママ会があったりママ友がいたり。ブログを探せばたくさんのママが同じ悩みを抱えていたりします。

妊娠中に徐々にお腹が目立ってきたり妊婦健診に通ったりと

母親になる事を自覚する時間もあるかもしれません。

でも、パパ目線で子育てを見た時、それはどんな世界なのでしょう。

「どうやって赤ちゃんをあやすのがいいんだろう。」

「どんな食事を作ればいいだろう。」

ママが疲れている時に

「どんな声かけがベストなんだろう。」

全て手探り状態です。

パパの育休が取れて羨ましいという声が聞こえてきそうな世の中ですが、育休取れたら取れたで子育てに接する時間が長い分、右往左往悩ましい毎日なのかもしれません。

特に今までの日本は

#ジェンダーバイアス がかなり働いていました。

私たちの親の世代の多くは、男は仕事まっしぐらな時代。アドバイスがもらえないばかりか、「男が子育てをするなんて」と言われたりする人もいます、、、

そう考えるとなんだかほっとけないなあ。

パパ達もがんばっています。

右往左往しながら乗り越えた後にメリットはたくさんあります🌸

「あ!赤ちゃんいま笑ったね」

「あ!体重ふえてる」

「あ!お風呂うれしそう」

「あ!ご飯食べてくれた」

たくさんある日常の中で

一つずつ乗り越えていく喜び

成長する喜び

自分にはない価値観をしる喜び

そんな喜びの瞬間を

分かち合えるんです。

それは、

家族の絆を深める事は間違いないです🌈

仕事をする際にもきっと新しい発想が生まれることでしょう。

男目線での子育てはまだまだこれから。

いまのパパ達は

子育てパパの先駆者なんですよ✊

だから私もそんなパパ達と伴走していきたい。

家族みんなを丸ごと応援です📣

フランスでは週末、公園でパパ達が子供を連れてワイン片手に語っていました。

「俺のとこはママは今日ランチさ。夕飯は何を作ろうかな。」

そんな会話でしょうか(*^_^*)

そんな風にいつか日本のパパ達も仲間を作り子育てについて語る仲間が出来るといいなあ・・・と思う齋藤です。

#みんな頑張っているよ

#パパの子育て

#パパ育児

#育児休暇

#ママの子育て

先日お伺いした齋藤出張専門助産院の利用者様、

ママがボディトリートメント受けている間パパは赤ちゃんとお散歩です👶

ありがとうパパさん⭐︎ママがパパに抱っこ紐装着状況を確認して、「ちゃんと暖かくして行ってね」と言っている姿をみてジーンとしました★

♯みんなで子育て

こんにちは。


写真はスペインのモンセラートという山です。

有名な建築家で知られるガウディは、スペインのみならず様々な国で彼ならではのデザインで建造物をつくりました。スペインのサクラダファミリアはご存じの方が多いのではないでしょうか。

ガウディは「自然のものには直線はない。それは曲線に溢れている。」

ということに気づき、今まで直線であった建築を曲線にこだわり形にしたといいます。


しかし、初めはそれは理解されないものでした。


よく考えてみてください。

直線できっちり作られた建物の中に曲線の建物。

目立ったでしょうね。浮いていたでしょうね。

それをおもしろいという人もいたと思いますが、「そんなのおかしい。」と多くの人は

敬遠しました。

作っても作っても理解されない。でも彼は作り続けるんですね。

ゴッホやピカソも同じです。初めは理解されなくて侮辱されます。

ですが、彼らは作り続けた。要はあきらめなかった天才達です。


そのような天才達を思い起こしたとき、私に一つの気づきが与えられます。

それは、人と違うことは敬遠されるようなことなのか?

ということです。


出る杭は打たれる。


そう、人と違ったことをしていると注意されてしまう。それがわたしたちの住む世界です。


もちろん、自分の中にあるイメージが周りのみんなと同じであれば、無理に個性を出す必要なんてありません。ですが、もし、自分の中のイメージが周りと違ったらどうでしょうか。

「私の中の人とは違う何か」

を意識しないようにして周りに合わせて生きていきますか?

毎日まいにち、違う何かを押し殺せるものなのでしょうか。


ガウディのように自分だけのイメージを想像することを止めないで表現した場合、

それは周りの価値観をもひっくりかえすような大きな力をもっていると私は感じています。


多様性を理解する。


一言で聞くとむずかしいと感じることかもしれません。

でも、今日みたいに今まで生きたたくさんの多様性を思い起こすだけで少し理解できた気がしませんか。


まず言えることは、

人と違っていても大丈夫。ということです。

そしてもしそのような人に出会ったら表現することを否定しないで見守っていきたいですね。

なにかすごいものができあがるかもしれませんよ。

人と違う部分というのは、とっても芸術的で特別な力ですから。


そして、注意すべきはどんな風にそれを表現するか、です。


ガウディの建築や、ゴッホやピカソの絵や造形物は、だれも傷つけることはありません。

ただただ造り続けた。

そこに彼らの強さや成功があるのだとわたしは感じています。


つい先日とある鎌倉市の小学校PTAで「世界の性教育」というお話をさせていただきました。

世界に目をむけるということは様々な価値観に目を向けるということで、とても楽しいことです。

さあ、一緒に探検しませんか?


あなたのなかにある特別な力があふれ出すかもしれません。



つい最近、またあらたないのちが誕生しました。

いつも思うのが、赤ちゃんが産まれてくるタイミングについて。

本当に一番よいタイミングで産まれてきます。


あしたは雪が降る予報だから動きにくそう(といっても降らなかったりしますが)。

そんな人間の予報を遙かに超えてきます。

お産介助が終わって帰宅途中に雪がふってきた前回のお産も驚きました。


お天気だけではなく、たまたまだんなさんの仕事の大事な会議が終わった後だったり。

ご兄弟の授業参観や運動会などが終わった次の日だったり。

祖母との喧嘩が和解された直後だったり、、、

それだけではありません。

介助する助産師のスケジュールまで、、、、いや、わたしの家族の行事までも丁度よかったりするのです。

なんていうベストなタイミングなのでしょう。


わたしはいつもバイクでお産のお宅にお伺いするのですが、

呼び出される日はだいたい車道が静まりかえっていて、なんだかいつもよりも運転しやすいです。これは、単にポジティブに感じているわけではありません。

はじめ、それはわたしの気持ちの持ち用なのかなと思っていたのですが、

どうもそうではないみたいです。


何年も自宅出産に関わっている助産師の先輩方はどうもそれが分かっているようで、

あしたお産が来たらどうしよう、という困ったタイミングの時も

「大丈夫、ちゃんと赤ちゃんが選んで産まれて来てくれるから。」

と落ち着いた表情で言うのです。


赤ちゃんて、そんなに広いところまで視野に入れて産まれてくるタイミングを決めているの??


いつもびっくりなのです。


いつ陣痛がくるか、もそうですが、いつ産まれるのかもそう。

お兄ちゃんが帰宅した瞬間、有効な陣痛が来てぐんぐん進み、無事ご兄弟立ち会いのもとお産が出来た、なんてよくあることです。

「運がよかった」

という簡単な言葉では済ませない気がしています。

全例そうだから・・・です。


だから、もしかしたら、

陣痛が中々来ないという状況の場合も、その赤ちゃんの思いがあるのかもしれません。


以前働いていた総合病院ではよく帝王切開の介助をしていたのでその時のお話をします。

お産というのは下から産まれてくる経膣分娩だけではなく帝王切開というお産があります。2017年で18.5%と結構な割合であります。

なぜ下から産まれて来ないのかという話しですが、理由はたくさんあります。

産道(赤ちゃんが通る道)の準備が整わない時、

陣痛が来ない時、

来ても陣痛と共に赤ちゃんの心拍が下がり辛そうと予測される時、

お腹の中の赤ちゃんが小さくて産まれるまでの道のりが辛いと思われる時、

それ以外にも、胎盤の位置や臍帯の付着部位が下から産まれるとリスクがある時や、

骨盤が扁平であったりして児頭が入れない解剖学的な理由など、他にも様々な理由があげられます。

そんな時は、帝王切開に切り替えるためにレントゲンや採血、陣痛と胎児心音を同時に測定しストレスがあるのかどうかを図る機械の波形などを確認し、医師が判断します。

ですが、それでも原因がはっきりしないことも多々あります。

原因はぱっとしないけどこれ以上待っても下からは産まれない様子がある。

そんなときも、今までの状況を総合的に判断してお産の方法として帝王切開を検討します。


そんな風に原因がぱっとしないまま帝王切開に踏み切ったケースには、

おもったより体重が小さかった、赤ちゃんが下からだと呼吸状態がうまく行かない可能性があった、想像以上に臍帯が短かった、など、産まれてから「帝王切開の方が結果よかった」という状況はよくあることです。


そういうことを経験していると、

赤ちゃんというのは、自分が最良の条件で無事産まれることが出来るよう、経膣・帝王切開も含めもっと広い視野で考えていると感じるのです。


(下から産もうと意気込んでいた母や家族からすると少しがっかりすることもあるかもしれませんが、帝王切開が最善だったということもある事を知って欲しいと思います。)


あかちゃんはもしかしたら、お臍の穴からこっちの世界を覗いているのでは?

という説もありますが、

いやいや

あかちゃんはもっともっと異次元でこの世界を感じ取っているのかも。


そもそも目に見えない程のミクロの世界ではじまった命。

赤ちゃんが生きている世界というのは私たちが見ている世界よりも

先を見通すことができるほど透明感があって感性の頂点と呼べるほど研ぎ澄まされた世界なのかもしれません。

こんにちわ。齋藤真也です。


感情的にものを言う人というのは、少なからず皆様の周りに一人はいるのではないかと思います。

その感情があふれ出てくる瞬間に時々でくわします。

なぜ、そんなに急ぐのか、怒るのか、上手くいかないとそんなに腹立たしいのか。

その方の背後にある問題に着目していれば見えてくる世界があります。


わたしは音楽活動をしていました。

作曲をし、シンセサイザーで編曲を行い、野外ライブをしていました。

初めは一人で趣味で気楽に行っていた活動でしたが、あるときそれは私にとって義務になりました。


なぜなら、助産師として働きながら双子育児をしていていたある日

一緒に頑張って来たママ友が自死するという事柄に出会い、自分が足りないことを知り、音楽活動を通して多くのママにメッセージを届けなくてはならないと思い込んだからでした。

子育てを応援する仕事をしていたのに、近くの友人が自死してしまった事が自分の不足の事態だと思ってしまったのです。

その時の事はいまでも鮮明に覚えています。

しばらく思考停止状態になり、ふと作った詩が彼女への詩でした。

これにメロディーをつけて曲を作りたくさんの場所で歌わなければいけない。そう義務感に押しつぶされていました。

作業している間は救われました。

まるでそのママへ懺悔をしているような時間。だったように思います。

助産師として働き、ママのため赤ちゃんのため、といっておきながらなぜ近くの問題に気付けなかったのかという自責の念が原動力となっていました。


ですが、共に音楽をしていた周りの友人からしたら理解できないことだったでしょう。

次第に義務が叫びに変わり、燃え尽き、一緒に活動している友人のエネルギーに疑問を感じてしまうようになりました。なぜ一緒に走ってくれないのか。

その先にあるのは孤独と絶望でした。

『そんなに頑張らなくて良い』

そんな仲間の言葉を聞いたとき、自分の中の何かがプツンと崩れ落ちていきました。

なぜあんなに頑張っていたのか、いまなら向き合う事ができますが、当時はとても苦しみ受容できる感情ではありませんでした。


激しい感情の先には、なにも残らない。


なぜなら、その感情は自分にしか分からない感情だからだと思います。


たとえ、その曲が多くのママの耳に届き、救う事ができたとしても、

わたしはきっと燃え尽きてしまっていたと思います。


あれから5年以上がたち、助産師としてまた復帰しています。

そのときとは違って、やれることを一つずつやっていこうという穏やかな原動力です。


そして最近5年前に経験したような、血相を変えた医療者をよくみかけています。

最近の子育て支援者はとても忙しく対応に追われています。

なぜってコロナ禍だからです。

行き場のない寂しさ、悲しさ、怒り、失望、そんなネガティブな思いがあたりを渦巻き、

どうにも助けてあげられない現状のなか、殺気だって働き続けています。

困っている妊婦さんや子育てご家族が急激に増えてしまっているからです。

なんとかして状況を回復していきたい。そう尽力していても、お金が足りない、人手が足りない、刻々と変わりゆく環境の変化に対応する学びの時間も足りていないのです。

懸命に働くあまり、自尊心が崩れ落ちてしまっている。

そんなスタッフがふえてきています。

私たちにも家族があり、支える場所支えられる場所があります。

そこさえも揺らいでしまうほど自分を犠牲にしてはいけません。

休むこと、好きな事をして自分を見つめる時間を持つことはなにより大切なことです。

特に人を癒やすような立場の人には、、、


わたしは復帰してからまだ二年という年月しかたっておらず、

こうしたらよいのではなんてアドバイスするような立場出ないことは重々承知ですが、

休んでほしい、

おさまってほしい、

生活の1分でも良いから深呼吸をする時間がありますように。

そう願っています。


子育てに勤しむママやご家族さまにも同じような事が言えると思います。


あなたはいまなぜそんなに頑張っていますか?

あなたはいま自分を尊い存在だと思えていますか?

もし、そう考える時間もないほど毎日におわれているのだとしたら。


それはあなたをいずれ壊してしまうかもしれない。


5年前に燃え尽きてしまったわたし自身を思い出しながら

ちょっと考えてしまう今日この頃です。


8月から横浜市の山本助産院、訪問看護ステーションにて『ふたごみつご支援』をはじめました。このお仕事のお話しはずいぶん前から頂いていたのですが、鎌倉市から横浜市はアクセスがしにくいかなと思い、保留にしていましたが、出来る範囲で勤務させていただくこととなりました。


ふたごみつご。この世界は計り知れない独特のものだと感じています。

単に2倍だよ3倍だよ。ではありません。

「大変そう」そんなイメージで話される事が多いですが、

実は大変さよりも楽しさが倍々で格別なものです。


写真にアップしているのは

娘が同じ年の息子を見て笑っているところ。

1歳半くらいかな。

ふたごがあかちゃんの頃は、時計も見る時間がないほど追われていましたし、二人が寝てくれるという奇跡が起きたら、洗濯や食事を手短にすませていましたから、ほっとする時間なんてありませんでした。

ですが、おんぶが出来るようになるころ劇的に楽になってきます。

一人をおんぶすればお出かけが出来るのですから。単なるお出かけ?と思われるかもしれませんが、そうお出かけが本当に難しいので。公園に出かけるのも初めは難しいですから、

一人で子どもを公園に連れて行けるという事が分かったときはそれはそれはとても嬉しかったのです。



ふたごみつごと言っても、二人三人を同じように同時に育てれば良いということではありません。

赤ちゃんによって、性格や体質が違うように二人も違う生物です。

だから、その個性を見つけてそれと上手く付き合っていくことになります。


例えば、良く食べる良く飲む良く泣く子。

そんな子にはどうしても手がかかります。

激しい泣き方をする子と大人しい子がいた場合、激しく泣く子の方を早く抱っこしてあげるでしょう。そんなときは、そんなに泣いていない子に

「待たせてごめんね。」といいながら後から抱っこすることになるでしょう。

大人しい子をあとから労ったり、スキンシップを長く取ったり。むしろ、大人しいからこそアンテナをはって、気遣ってあげる必要があるかもしれませんね。


なかなか対等に平等に、とはいかないのが現実ではないでしょうか。
成長に伴って、手がかかる方が交代したりすることもあるかもしれませんし、一辺倒ではいきません。


それは、双子自身に聞いてみても同じでした。

同じ愛情表現をしても受け取り方が違う。

二人を並べて

「あなたたちをわたしは愛しているわ」

と一言いうよりも

ひとりひとりに(できればもうひとりが聞いていないときに)

「あなたを愛している」とそれぞれ伝えることが必要なのかもと思いました。

言葉よりも触れる事で感じる子もいますし、

歌や笑顔で感じる子もいますから。


また、

2人をならべて「あなたたちを愛してる」

と言ったら必ず言われる言葉があります。

「ねえ、ママは〇〇とわたしどっちが好きなの?」

ふたごみつごは同じ年同士ですから、ライバルでもあるんですよね。

いつもいつも隣に同じ状況の子がいる。

ママがどっちを先に抱っこするか、気になるのかもしれません。

ひとは比べる生き物です。

自分は愛されてると自信がないと、私は一番じゃないの?と不安になるのかもしれません。そんなときは、『デート』をしました。

一対一で過ごす時間を作ります。

その子だけを見る時間をつくる。

これは、不思議と自分も癒されます。

いつもどちらかを選ばなくてはいけない状況だからこそ、1人を見れば良い時間はゆとりを与えてくれ、愛情が伝わっているんだという安心感を与えてくれます。



つまり、ふたごみつごの子育てというのは

二人三人を一緒に並べて一緒に育てましょう。といったことではなくて、

ひとりひとりを見つめていきましょう。

という事なのかなと思っています。


ただ、それを行うのには、とても時間がかかります。

正直手が足りません。


だから、『出来る範囲』で対応していくこと。

『限界を超さないこと』

これが大切なことです。


実は、わたしの双子ママ友で限界を超してしまった方がいました。

それは、私にとってとても悲しい記憶となっています。

いまでも時折その方のことを考え涙を流しています。

だから、言い続けたいのです。

限界はこしちゃだめ。


無理だなと思ったら、

ヘルプすること。

それは家族でもいいし友達でもいいし病院でもいいし訪問看護でもいいし

コープなどもサポートシステムでもいいと思います。

すこし経済的な負担はかかりますが一時保育などを使うこともできます。

子連れ習い事など活動することで発散できる方もいるでしょう。

手続きさえ出来ないと言う状況であれば市役所に連絡しましょう。

ふたごみつごのママともなれば電話連絡の時点で、大変さは理解してくれることが多いです。



とにかく、ゆっくりゆっくり無理をしないで時間をかけて子ども達を育ててください。



絶対に周りと比べてはいけません。

だって、ふたごみつごが宿った時点であなたは特別。特別な子育てなのです(*^_^*)。

そして、その特別な子育てには特別な仲間がいます。

ふたごみつごママともは100人に一人くらいの確立で潜んでいるんです。

同じ状況でがんばってる仲間がいる、そう思うだけでがんばれることがたくさんあります。



二人が笑ったとき

二人が歩き出したとき

二人が話し出したとき

どれだけあなたを癒やしてくれることでしょうか。

それは計り知れません。

この先もずっとあなたを2倍3倍以上の恵みがおとずれるのは間違いないのです。

そんな恵みがおとずれる日まで一緒に歩んでいきたいと思っています。

こんにちはお久しぶりです


最近は鎌倉市での仕事と

先輩助産師の助産院に通われているお母様のお産のお手伝い

がスタートし少し緊張した日々をすごしていました。


皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか(^^)?


フランスから帰国して思うこと。

2年間主婦という期間を過ごしてみて分かったことは、

自分の時間や家族に割く時間はとても有意義であったということでした。


今思えば双子を妊娠したときも30週くらいまでクリニックでのパートを務め、

双子が一歳くらいには復帰していましたから、

ゆっくりした自分への時間というのは皆無な時の過ごし方をして参りました。


忙しい時間というのは自分と向き合う時間を削ってしまいます。

器用な人はきっとそんな時間を作りながらこなしていけるのでしょうが

不器用な私はどこに重きを置いたら良いのか分からず、ただただ毎日をこなすということに必死でした。



【自宅出産】


去年のいまごろ、「自宅出産を手伝ってくれないか」

そんなお声をかけていただきました。

それはそれは尊敬する先輩であったため、

なんとも嬉しく、是非!!と即答したいところでしたが、、、


いままで私が体験した怖い経験、

赤ちゃんが亡くなったり、

産まれてくるときにお母様が体調急変してしまったり、

そんな経験が頭の脳裏によぎり

「わたしには無理です」と断ろうと思いました。


それはあなたには向いていないよ。


そう誰かが言ってくれたらいっそう楽になるので

いままで一緒に働いた先輩に聞いてみたり

親友に相談してみたりしましたが、


だれもやめときなさいとは言ってくれず

むしろ「それはあなたに必要な仕事のような気がする」

「きっと今までしてきたことが繋がるんじゃない」「楽しそう」

そういった前向きな意見でした。


わたしは帰国する際に一つの決心をしていました。


これからの人生は神様のご意志に従う


ということ。


信仰をもっていないかたにとれば、ちょっと怖いかも知れませんね。

でもこれは私が自分の意思でもがき苦しみ様々な選択を迷い間違ってきた結果、

そう考えようと思ったのでした。

自分が何をしたいかではなくて。

神様に任せて生きていくことは私にとって最大の幸せなのだと気付いたからでした。

(マザーテレサから影響を受けています)


だから、たくさん祈ったあとにこの仕事を引き受けることに致しました。



その決断から半年くらいが過ぎ、

その助産院のお母さまのお腹が大きくなり

予定日から数えてあと一ヶ月という頃

わたしも妊婦健診に同行させていただくことになりました。



いつもの自宅で

いつもの姿の家族様といっしょに胎児心音を聞きます。

「おおきくなったね」

「いま動いているね」


そんな何気ない会話も病院やクリニックとは違っていました。

やわらかい表情でリラックスしています。


3Dや4Dなど目で確認できることもたくさんある現代の妊婦健診ですが

お産の流れは昔から何も変わっていない自然なもの。

お腹を実際に触り感じとる診察は、無理がなく本来お母さまが求めている診察なのでは、

とさえ思いました。(もちろん大事な週数は病院に検査に行き受けていただいています)


毎回同じ助産師がお腹をさわり、

あかちゃんに声かけをして、

ご家族のご質問にもおこたえする。

その時間はそのお母さまだけのための時間。

「足がむくんでいますね」とマッサージしたり

「腰はどう?」「昨日は眠れた?」

「おねえちゃんの学校生活はなれた?」

そんな質問も周りに気兼ねすることなく交すことができます。


自宅でどのように暮らしているのか

旦那様はお産に対して考えはあるか

昼間だったら電話で呼ぶのか

夜間のお産のときは家族を起こすか

お産のとき上の子ども達はどんな風に一緒に過ごすか

そんなことをお母さまと話しながら

上の子達が一緒に胎児心音計の発する音に誘われ興味深く覗いてくる。

上のお子様も興味津々です。

お腹の赤ちゃんがいまどんなふうにここにいて、どれくらい声が聞こえているのか。

すべて答えることが出来るから

わたしも一緒に家族になったような

そんな近い感覚でした。



お産は一体何日にくるんだろう。


お産はいつくるかわからない。

夜の0時という事もあるし、わが子を送り出す朝かも知れないし、私がお風呂に入ってる時かも知れない(笑)。

お酒をたち、遠くのスーパーに買い物にいくのもやめて、美容院や友人との約束も控えていました。

わたしは携帯を握りしめ

いまかいまかとドキドキ。

待機して、はじめの一週間は、

こんな仕事が本当に出来るのか、わが家族は対応してくれるのか。

そんな不安と、

母体が健康で児も安全にお産にのぞめるのか。

そんな不安でいっぱいでした。

次の一週間になると、

わが家族ももういつくるか分からないわけだから任せるしかないわ。

という雰囲気に変わりしだいに肝が据わってきました。



電話がなりました。



「もう産まれるから来て!」



どきどきしながらお母さま自宅に到着すると

お産の準備がととのった和室にマットとシーツが敷かれており、お母さまが横向けにいらっしゃいました。


お母さんの手をにぎりしめ応援している上のお子様。

「わたしは絶対ここにいるからね」

「わたしはママから離れないから」

赤ちゃんの頭が見えるようになったときもその子はお母さまの手を握りしめ

一緒に力を入れていました。陣痛が治まったときは一緒に静かに力を緩め、

時折「ママ大丈夫だよ」と励ましの声をかける。

その子の手がなんて心強かったでしょうか。


もう一人のお子様は部屋に入ったり

下の子の様子をうかがったり忙しく観察し働いていました。

大丈夫かなもうすぐかな。その子のドキドキが私にも伝わってくるようで嬉しかったです。

赤ちゃんの頭が見えたよー。いつも動き回っていたのに、そんな時いつも良いポジションにいる。

助産師で言えば直接介助(実際にお母さんの産道を観察し手を添えて赤ちゃんの様子を調節する介助者)向きですね!

胎盤からの拍動が止まり、お臍を切る時も一番良いポジションにいて触ったり手を添えたりしていましたから(^^)


もう一人いたお子様はとても小さかったのですが

これまたびっくり。

いつも妊婦健診の時にお母さまに甘えるように覆い被さっていたのに

お産の時はとても冷静でした。

直感的にいまお母さんは大きな舞台で大切な事をしていると分かっていたのでしょう。

他の部屋にいってソファーにすわったり、お父さまとゆっくりとても落ち着いて過ごしているように感じました。


赤ちゃんが産まれてくるよーー!!


そんなときは助産師は息が止まるくらい全集中しています。


その一瞬に、

赤ちゃんが第一呼吸をすることができるか

産道が傷つかないか

出血が止まらないなどショック状態にならないか・・・

が詰まっていますから。


祈って祈って祈りまくる瞬間です。


「おぎゃー!!」


無事にあかちゃんが泣きお母さんの体もすーっと楽になりました。


胸の上に赤ちゃんを乗せ

ゆっくり初めての顔合わせです。


「そういう顔をしていたのね」

「お腹の中で動いていたのはあなただったのね」


いままで目で見ることが出来なかった赤ちゃんとの出会いです。


本当に素晴らしいお産でした。


一緒にその場にいさせてくださったことを心から心から幸せに思います。

そして忘れたくないので書かせていただきました。

ありがとうございました。




追伸

最後に私が一番感動したおはなしを。

産後1時間くらいがたったころでしょうか。

お子様達みんながお母さまから離れ、一仕事終えたぞーっと言う感じに腹ごしらえをしていたとき、旦那様が静かに部屋に入ってこられました。


お腹の上に赤ちゃんを乗せ、すべてのエネルギーを出し切ったという表情の、まぶたが少し重たそうなお母さまの隣で旦那様はこう言いました。


「元気な子を産んでくれてありがとう」


そして優しく、赤ちゃんを抱くお母さまに触れました。


わたしは涙をこらえるのに必死でしたよ。



家族の始まりはお母さまとお父さま。


別々の二人がある日出会い、仲良くなり、結ばれる。

そうして出来るのが赤ちゃん、いのちです。


これは紛れもない事実。


そこをいつまでも忘れず、大事にされている気持ちが伝わってきて、心が熱くなりました。


本当におめでとう。

これからの人生が実り豊かなものとなりますように、心からお祈りしております。





※ご家族の方や助産院に許可をいただき投稿する運びとなりました。感謝申し上げます。

この投稿をみて自宅出産の事を少しだけ知っていただけたら嬉しいです。ですが、自宅出産をするには医師の許可が必要です。私自身、双子でしたし病院での出産でございました。お産には色々な形があり、どれも素晴らしいものです。皆様にとってもそうでありますように・・・そんな祈りをこめて書かせていただきました。

いのちのはなし

いや、性教育

といったほうがいいかな。



友人に声をかけられて時々話しをしに伺っています(感染対策のため募集はせず少人数のみにて開催)。


「性教育って難しそう」


よく言われます。そうですね。


私たちの世代は性教育というものをちゃんと受けていない事がほとんどですから、難しくて当然です。

実はわたしたち助産師も、現場にでてから勉強することが多いです。

助産師になるには、まず看護学校を卒業して国家試験に合格してから改めて助産学校を1年間受講します。もしくは看護大学で助産師を目指す場合は4年間の間に、看護学と助産学を学ぶことになります。

全然時間が足りないのです。。。

体の仕組みだけではなくて疾患の勉強が入りますから、その量は膨大です。


医者みたいに6年間くらい学ばないと、人間の体を網羅することなんて出来ませんね。


なのでおそらく、性教育という分野は、助産師の場合の多くは基礎的なこと以外は卒業してから学ぶことがほとんどではないでしょうか。


いま、この性教育に熱い視線が送られています。


その理由は、簡単なことです。


性の問題で傷ついている方や悩んでいる方が実は多く存在し、そこから目を背けることが難しくなってきたからではないでしょうか。

生きている限り、性は誰にでも存在します。

人間にある基本的欲求のうち、食べる・寝るのような生理的欲求の中に当たり前のように存在する「性の欲求」(マズローの欲求5段階説より)。

他の欲求は様々な対応策があるのに比べ、現代に至るまでの間、目をそらされてきた欲求と言えるかもしれません。

性犯罪も多様化してSNSなど身近に誘惑が存在している昨今、性はタブーな話し、という考えを貫くにはついに限界が来たのでしょう。



さて、性教育の依頼がわたしにあった場合、まずはなぜそれを講義してほしいか。

という質問を依頼者さまにお聞きするようにしています。

なぜかというと、それは人格形成に影響を及ぼすような、とても幅広い教育だからです。


そしてこのような返事が返ってくることが多いです。

『いのちの大切さを理解して欲しい』

『性犯罪者から守って欲しい』

『自分を大切にしてほしい』


わたしはそのようなお答えを聞いて、すでに感動しています。


なぜならその言葉から、依頼者様がお子様を大切になさっているのだなぁと感じるからです。


依頼してくる時点でもうすでに、いのちの大切さを知って欲しいという思いは完結しており、子どもにも伝わっているのではないかと思うほどです。


あるいは、

日頃は「勉強しなさい!友達を大切にしなさい!」と叱ってしまうけど、

本当は自分のことのように子どもを大切に思っていて、それが伝わっているか確認したいのかもしれません。

いずれ大きくなって自分で色んな判断をするようになるまでに、自分を守る方法を伝えて欲しいのかもしれません。

こんなに小さい時から大切にされて来たいのち。『あなたのことを大切に想っている』そんな子どもへのメッセージを親だけでなく間接的にも、伝えてほしいのかもしれません。


いずれにせよ、もうすでに大切にされているのだなあと感じ、こころが暖まります。






ここからは反対の話しです。

読むことすら辛い方もいるかもしれません。

(どうぞ無理をなさらずに・・・)

いきいきと目を輝かせる子どもたちがいる一方、性教育の際に、こちらに目を向けることすら出来ない子どもがいます。そんな現実を、私は見なくてはなりません。

多くの子ども達は目を輝かせて聞いているのにも関わらず、「愛されている」「守られてきた」そんな言葉に傷つき、孤独を感じてしまう子どもも少なからず存在するのです。

親に抱きしめられなかった子ども達が、性教育をいきなり理解できるでしょうか。

避妊や性犯罪予防などは相手を大切に想い想像する、という気持ちが根底にあります。

「あなたなんて産まれて来なければ良かった」と親に言われた子どもが、

第三者から「あなたは大切にされてきた」「相手のことを考えて避妊しなさい」なんてきっと聞きたくもない言葉でしょう。

性教育が、避妊の指導や性犯罪加害者の撲滅にも向けてしている活動であったとするならば、そんな現実を知ってから、講義に望まなくてはなりません。


そして私が思うのは、その二つは、

思ったよりも近くに存在しているという事。


さまざまな環境の人たちがこの社会には存在しており、その双方を網羅しなくては全体の改善には到底及ばないのです。

全体的な性の知識の普及が望まれます。


そして、年々その対象年齢は下がってきているという現実も知る必要があります。


犯罪がらみの性の描写が、子ども達の近くにあり正常な性の知識を脅かしています。

我が家は危険動画は見れないから、といっても、隣の子が見ていてそこから入る情報も無視は出来ません。意識している家庭もいれば、性犯罪が起こっている家庭もあるのですから。


望まない妊娠についても家族の反応は全く違います。

妊娠したらすぐに見守ってくれる親御さんもいれば、

おろしなさい、と簡単に言う親御さんもいる。


それだけの様々な家族がいる中、

性教育をしても、メッセージが心に届く子もいれば、届かない子もいるのは容易に分かる事です。

では、届くこどもにだけ届ければいいのでしょうか。。。

いや!それは違います!


どんな子にも、伝え続ける必要があります。

様々な家庭環境を理解し想像し、どのように伝えていけば良いか模索し続ける必要があります。

そして、みなさんにもそうあって欲しいと考えています。


誰しもが平等に正しい知識を得ること。

これが大事なことです。



性教育は平等であるべきなのです。

それは、LGBTQの教育にもつながっていきます。



だからいま、ぜひ考えて頂きたい。

小中学校の義務教育に、専門家による性教育を加え、様々な分野で子ども達を支えていくことは不可能でしょうか。

性については助産師が伝え、犯罪については警察が伝え、心身の健康については保健師や臨床心理士などの手を借りる。その現場で様々な人生を実際に見てきている他職種で、みんなで伝え合う事はできないでしょうか。



性教育は、平等にみなが受けるべき教育です。



いま現在、学校からの性教育の依頼は何割でしょうか。

助産師会や市に依頼のあった学校は、、、、そんなに多くないのが現状です。


性の具体的な内容が知れることが怖いですか?

性行為について知ることで、興味が湧いてしまうのではないかと不安ですか?

WHOの研究で、性教育は受けることでむしろ初体験は遅くなるということが分かっています。


性の話はタブーではないですよ。


そもそもいのちはみな、性から生みだされています。

性教育をした後の保護者さまとの交流会は、いつも時間が足りなくなります。

実は、性はわたしたちの生活に多く存在しているからです。

性をなかったことにして、何かが解消されますか?

現に、産婦人科には性の悩みの限界を迎えた方が溢れています。

望まない妊娠で、自らの体に負担を与えてしまっているかたがたくさんいるのです。



学校の性教育で、一歩踏み込んだ性教育がなされるのは怖いですか?

たしかに様々な家庭がある中で教職者たちはただでさえ頭を抱えているかもしれません。


ですが、

思春期には、子ども達の体がどんどん変化します。

それは新しいいのちを作るための準備なのです。

その変化がなぜ起こるのか。

これからどうなっていくのか。

体のなかで何が起こっているのか。

教職者だけではなく、専門家の知識を借りて、一緒に考えていきませんか?

それは様々な職業を知るという社会勉強にもつながります。



保護者さまもどうぞ声をあげてください。



生きていることは、偶然や曖昧なことではありません。

どのようにいのちが授かり、どのように育ってきたか、

産まれてきた時にする一回目の呼吸がどれほど重要で、どれほど奇跡的なことか。

そして、いったいどれだけの子どもがいのちを落としてしまうでしょうか。

実際いのちをつくり育むためには、さまざまな準備が必要なのです。



全体的に性の知識を持ってもらい、

全体的に底上げしていく。

依頼してきた方だけに講義するのでは無く、みなに平等に伝えていきたい。

そこに格差があってはならないのです。

それは、みな平等に産まれてきたいのちだから。



それこそがわたしが望む性教育の形です。



どうか近い将来、そのような性教育が実現しますように。

そして、すべての子どもがその子らしく自分の人生設計をすることができる、そんな世の中が来ますように。。。




※性教育は事前に打ち合わせを行い、依頼者さまの希望や、

 子ども達の背景にそって講義内容を模索していきます。

 ぜひ、ご相談下さい。わたしは勉強中ですが、科学的な性教育の勉強にとりくむ助産師が周りにたくさんいます。

世の中のお母様がたはどのようなお産をしたでしょうか。


また、そのお産を子どもにどのように伝えていますか?


生理が始まり、好きな人ができて、結婚して、出産して、老いて、死んでいく。

人は生きている限り性を必要とし、

そこから生を受けています。

だから、自分はどのように産まれてきたのか それは性を知る最初の一歩なのです。


「あなたを産んだ日、それはそれは素晴らしい一日だったわ★」

そんな風に語れるなら

「わたしは産まれて良かった。産まれただけでお母さんをこんなにも幸せにしたのだから。」そう思うでしょう。


でももし、「あなたを産むときは最悪な一日だったわ。あんなに痛い思いはもう二度としたくない。」

そう語られてしまったら・・・

「わたしは産まれて良かったのだろうか」

そんな辛い記憶として刻まれてしまうかもしれません。


現に私の友人でトイレで産まれたという方がいらっしゃいました。

とても明るくて気が利く素敵な子だったのですが、

「わたしはトイレで産まれたの。だから私の人生はこんなもの。素敵な彼が出来るなんて思っていない。」そう皆に伝え自虐しており、どう返せば良いのか分からなかった事がありました。


お産とは本来母の体験と思われがちです。

ですが、子ども自身も頑張って産道を通り命がけで地上に出てきます。

そこから人生がスタートするわけですから、

お産を語る際は、子どもの身になって考える必要があると私は思っています。



ですが、中には本当に大変なお産をされた方もいるでしょう。

自然陣痛が発来せずに三日間の陣痛を耐えた

自然で産みたかったが緊急で大病院に搬送され緊急帝王切開になった

お産後に気を失い次の日に目が覚めたのであまり覚えていない

産まれてからすぐ赤ちゃんが呼吸不全となり入院になり呆然とした

分娩室に間に合わずトイレで出産するケースも珍しくはありません

なかには死産してしまう場合もあり深い悲しみの中に置かれてしまいます


すこし踏み入ってお産について調べてみますと、

厚生労働省の日本の統計では1900年の妊産婦死亡は6240人(人口約4600万人)

2015年34人(人口約1億709万人)であり、医療の発達により妊産婦死亡率も減り緊急対応が早くなった事が考えられますが、1900年の結果から見ても本来お産とは絶対大丈夫ということは一切なく、危険を伴うものなのです。


ですから、いくらかの人がお産に対して悲観的に捉えていてもおかしくはないのです。

「すごく素晴らしいお産だった」と一言で片付けることは出来ないという人も実はたくさんいるのではないでしょうか。


楽しいことや幸せだったことはたくさんシェア出来ますが、

辛かったことはシェアしにくい。

だから、お産のことを話すのはやめて心に止めておく。

そんな方もたくさんおられるのです。



もしあなたが、自分が経験したお産に対して傷を抱えていたら、、、

助産師である私になにかできることはないだろうかと思います。



最近、性教育の現場で「自分の産まれた時の様子を家の人に聞いてみてね」と伝えたことがあります。言ってしまったあと、すこし後悔しました。

なぜなら、その保護者の方のバースレビュー(お産の振り返り)まで確認していなかったからです。


バースレビューはとても大切です。一人目のお産になにか傷を残していると次のお産の時にそのトラウマが出てくることも多々あります。

また、そのバースレビューがとても悲惨なものだった場合、こども自身の傷にもなり得るということです。



かなり前に経験したことですが、ある患者様のお宅に訪問に行った際、子育てに手をつけられないというお母様がいらっしゃいました。

そのかたは私にこう言いました。

「わたしは産まれたときこの子を抱きしめる事が出来なかった、わが子はすぐに呼吸器につながれてしまい面会も出来ず、泣き続けていたのかと思うと本当に情けない。わたしは産まれてすぐにカンガルーケアをするのが夢だったのに。」

それを聞いたとき私は感情移入して一緒に泣いてしまいました。

そして、その日、部屋を暖かくして母子の上半身を肌で感じられるように裸にしてカンガルーケアをおこないました。

通常訪問は一時間くらいで終わりますが、ゆっくり母子が落ち着くまでそばにいることにしました。

最初は今やっても仕方がないと言っていたお母様でしたが

裸になったわが子の暖かさ、かわいさ、身を委ねるような視線、、、

気付いたら涙をながされていました。

「いまでも出来るんですね。あのとき、すぐに抱っこできなくてごめんね。おかあさんを許してね。」

そんな声をわが子にかけるお母様をみて、なんて美しいんだとわたしも一緒に泣きました。


心の傷はこうして少し軽減されたのではないかと淡い期待をいだきました。



子育ては産んでからずっと続いていきます。

もしなにか傷を抱えていたら、深い悲しい経験として残っていたとしたら、

長く続く子育てを元気にスタートすることが出来るでしょうか。

助産師としてなにが出来るでしょうか。

まずはどんなことが辛かったのか思い出してみましょう。そのお産の現場にいなかったとしても一緒にイメージすることは出来ます。聞いてみて、なぜそうなったのか、その傷をどうすれば軽減することができるのか一緒に向き合っていきたいなと思っています。



バースレビューはお母様だけのものではありません。

お子様はお産の話を聞いてどう感じているでしょうか。


わたしは助産師であるにも関わらずお産の話をしてとても後悔することがありました。


わが子が小学校で1/2成人式の時、どのように自分が産まれてきたのかリサーチしよう、そんな宿題が出されました。

(双子だったので、少し変わっています。)

お産の経過をたくさん話した後、どうやって出てきたかの質問に対し、息子が先に頭から出てきて娘は足から出てきたのよと伝えました。娘はそれが印象深くのこったらしく、

「兄がでた30分後、わたしは足から出てきました。」

と発表したらしいのです。そうするとクラスがざわめき、

えっ足から??そんなの大丈夫??

と多くの子から質問を受け、わあーっと湧いたそうです。

わたしもきちんとどのようなことか説明すれば良かったと思いました。

わたしは足から産まれてきた。

それが娘の頭から離れないようで、自分は普通ではないのか大丈夫だったのかとバースレビュー(お産を聞いた娘の感覚もバースレビュー)は最悪でした(-_-;)

なので私が産んだときの双子お産のDVDを観せました。

そしたら、それまた最悪。

「ぎゃー」とわたしが叫んでいるものだから娘はお産に対して怖いと思ってしまい、DVDを最後まで観ることすらできませんでした。


それから1年がたち、昨日わたしがあるイギリス映画『Call the midwife』

を観ていたら娘が近寄ってきました。珍しいなあ、お産は嫌だと言っていたのに、

そう思っていたら一つのお産のシーンが始まりました。

それはなんと双子の出産シーンで、しかも男女の双子で、一人目は頭が下、二人目は逆子で足から出てくるお産でした。(わたしも本当びっくり)まるで一緒じゃん。


それは本当にわたしが経験したかのようなお産で、足から出てきた子どもも穏やかな顔をしていて素晴らしいお産のシーンでした。


それを私と娘で二人で観て本当に出産したときのように「ヤッター産まれたね」と話しました。

その時の娘はとても幸せそうでした。

娘にとってお産のイメージを悲観的なものから変えるのは今しかないと思いこう伝えました。

「うまく伝えられなかったけど私もこうやって幸せな気持ちであなたを産んだの。双子だったから大変だったけどね。そのあと息子はすぐに呼吸不全になって入院したけどあなたは私の隣にすぐ来てくれた。それがどれだけ心強かったことか。いまもあなたに助けられているけど、産まれてすぐの時ですらあなたの存在に助けられていたのよ。ありがとう。」


娘はお産が怖いとは言いませんでした。感動している様子でした。


よかった。


ようやく娘のバースレビューは良いものになったようです。

わたしは大きな宿題がやっと解決したような気持ちでした。



バースレビューは話す側のお母様の心情も大切ですが、

受ける側の子どもがどう感じたかも大切なのですね。この二年間でわたしが娘を通して学びました。

 


さて、あなたはどう子どもに伝えていきますか?


(バースレビューを新しく産後メニューに追加しました。いまはまだ無料とさせていただいています。どうぞこの機会にご検討ください(^^)。)





もう聞きたくないと思っている方も多いのではないかと思うのですが・・・

コロナ、感染者数が増えてきましたね。

医療現場は大変な状況だと聞きます。


呼吸器の管理は本当に大変なのでどれだけ現場が逼迫していて体力勝負であるか・・・医療者の事を考えると心が痛みます。もちろん治療を受ける患者様もそうです。


わたしも一応看護師の免許がありますから、いつか看護協会から電話がかかってくるのだろうかと思ったりします。三月からお産の介助に入るため、病院での復帰は残念ながらできませんが。


コロナの二次災害として、経済的困窮や生活困窮があげられ多くの子育て世代に影響がでていると予想されています。驚くのはコロナで死んでしまう方よりも自殺の人数が多いということ。

私ができる限りの事を探し続けて生きたいです。

個人的に相談を受けることは多いですが、開業した助産院としても活動していきたいので、

1/6からZOOM子育て相談会をスタートすることにいたしました。是非ご参加ください!

(詳しくは産後メニューより)



人生は本当に山あり谷ありです。



まさかこんな年になるなんて・・・

大学一年生のかたや就職の学年の学生さん、飲食店のオーナーさん、新婚さんや妊婦さん

きっと他にも大勢のかたが「こんな年になぜ」

と悩みを抱えている事だろうと思います。


わたしは、今年3月に日本に帰国いたしました。

そのときのフランスでの最後の生活について少しお話したいと思います。。。



もともと今年で終了だった海外赴任。引っ越し日程も決まっており、日本での旦那勤務先も決まっていました。あとはその日をまつばかりでした・・・


しかし日に日に増していくアジアのコロナの感染者数。

フランスは海外からの入国者を制限し始めていました。

毎日のようにマクロンさんがテレビに生出演し演説。

それを通訳できる友人がメールに送ってくださり読み、

コロナがいかに恐ろしいものであるかが伝わってきていました。


飛行機出発まであと一週間。もう本当に引っ越しは間に合うのか飛行機に乗れるのか!!という毎日。

フランスの外出制限規制を経て、引っ越しの日程や飛行機の出発日程は急に変更になりました。

わたしは家族の荷物をまとめ、子どもは家を掃除し(フランスでは家具付きマンションがほとんどで退去時に同じように戻さなくてはなりません)旦那は銀行や会社のまとめ作業に追われていました。

ようやく荷物を出し切ったと思ったら、

飛行機出発まで泊まるはずだったホテルが閉鎖。

ホテルに電話しても「わからない」とスタッフも困惑している様子。

空港までのタクシーもキャンセル。

大家さんになんとか飛行機が飛び立つ前日まで寝泊まりさせていただけないかとお願いし、幸いに次に住む方が決まっていなかったため滞在することができました。

その間は、本当に大変でした。

外出制限があり、外に出るには証明書が必要です。

その証明書を印刷するコピー機はもうここにはありません。

説明するにはフランス語が必要で、語学力はわずかな買い物で精一杯。

泣きそうになりながらも友人と最後までメールやりとりをして

「他に帰国する人も同じなんだ」

とほっとしては情報を共有し現実をみつめていました。

毎日近くのスーパーにあるクロワッサンを食べ、残った水を少しずつ飲み、

ゴミの収集も一時止まったため大家さんにあまりゴミを出さないように言われたため

最低限の食べ物でしのぎました。

そのご無事飛行機に乗ることができ、日本についたときは久しぶりに母国に帰れた喜びで涙がでそうでした。その後予約したタクシーに乗車させていただき2週間の自粛生活をしました。その間も住居の準備や食事など大変なこともありましたが、日本語通じるんだから。なんでも平気、感謝でした。


思い返すと

フランスで大変だった最中「なんとかなるもんだ」と息子が言い、

冷蔵庫のものが空っぽになったとき、娘は笑っていました。


なぜそう思えたか・・・それは・・・



パリに来た2018年があまりにも過酷だったからです。



パリに転勤になると言うと周りにはいいなあなんて言われましたが

わたしにはかなりハードでした。

なぜってわたしお恥ずかしい事に英語も話せないのですよ。


どこに食べ物が売っているのかも分からない

ようやくスーパーに入っても

この肉の大きな塊をどう料理すれば良いのかと新たな壁にぶち当たります。

初めはフランス人と会話しながら買い物をするマルシェなんて恐ろしくてとても行くことができませんでした。しかも知らない食べ物ばかり。野菜も、なんて読むのよこれ状態です。


友人もいなければ、時差があるので日本の家族に相談することもできない。

そんなとき、娘が高熱を出し、2週間も寝込みましたからもうお先真っ暗な状態でした。

病院は英語。薬は病院に併設されておらず、自分で処方箋をもって薬局を探し行かなくてはなりません。しかももらった薬の使用方法はすべてフランス語。

何度泣いたか・・・助けてと何度叫んだか・・・


旦那ですか?

無理です。

初の海外赴任、旦那こそ大変な毎日を送っていました。

どうやって車を運転するの?まずそこからですから。

かなりびびりな旦那にとってはこの海外赴任はかなりストレスだったと思います。

夫婦と言うより戦友です。


電気製品から

食材のことまで

気候の違いから

物価の高さまで


地球の裏側はこんなにも違うのかと頭を抱えました。


それから一ヶ月くらいしてからでしょうか。


このまま泣いていても仕方がないと

急に涙は出なくなり重たい腰をあげることにしました。


フランスの食材を使った料理教室に通い、フランス語教室に入りました。

日本語学校のボランティアサークルに入り、パリの日本語教会に通い、皆がどのように過ごしているのかをリサーチすることにしました。


それから何ヶ月も何ヶ月も経て、

ようやく、

何でも話せる友人、山を乗り越えた夫、あたらしく広がった趣味の世界、

が私を支えてくれるようになりました。(元気な子ども達も)


フランス生活二年間を経て現在、

結果、「行って良かった」

と心から感じています。


大変だった時、ふと旦那に言われたことが脳裏に焼き付いています。


「双子が産まれたときもこんな感じだったよな」


そうです。双子を妊娠したときはまるで大きな大きなジェットコースターにのった気分。

どんどん大きくなる自分のお腹に震え、お産が終わると、

想像はしていましたが、産まれて泣き出す二人を毎日みて愕然としていました。

精神的に精一杯でもう無理だと何度も思いました。

でも何年も何年もかけて仲間ができ、双子育児を楽しめるようになったのでした。


だんながそう言ったとき、

一つずつ乗り越えてきた自分を知り、とても勇気をもらいました。



大きな山を登る時、この山は登れるものかと人はとても不安になります。

でも後ろを振り返ってみると

のりこえてきた山はいくつもいくつもあるのだと思います。



コロナのある生活は本当に大変なものです。

ですがなんとかみんなでこの変わった生活を受け入れていきたい。

こんなにも適応できないものかと人の弱さに気づき、たくさんの事を諦め、

でもその先にあるであろう新しい世界、

新しい自分達の可能性を信じて生きていきたいです。



(写真:なんども地震という災害から立ち上がってきた日本を信じて)


先日、パリにいる友人と性にまつわるお話をさせていただきました。

性のことは自らが気付くことが多くの答えを導き出すと思っているため、

反応が分かるように極少ない人数でいつも行っています。


いつも多くの学びをわたしも得ることができます。


そこで学んだお話を一つ。


性教育はいつからが望ましいかという話、結局、避妊具をつけるとか、相手の立場や気持ちを察するということは「命の尊さ」が分かっているかどうか。

18歳やそこらにまで成長していざ性行為を行おうというときに学んでも実感がわきません。

産まれてきて自己の意識が出始める2歳ころ、いや、もう産まれたときから

性教育はスタートしているのです。


そして、

相手のことを考えるということにシフトしがちですが

いえいえ、まずは自分を愛せるか。自分が尊い人間だということを認識できるか。

ということが最も重要なことだと感じます。


なぜなら、相手の気持ちを理解するためには自分がその立場なら・・・と考える他ないからです。いくら本をたくさん読んでも、ネットサーフィンで多くの知識を持っていたとしても。

実感したことに勝るものはありません。


ひとりひとりが大切な存在だから。だから相手を気遣うこころが湧いてくるのではないでしょうか。


フランスにはデリケートゾーン用のソープが普通にスーパーに並んでいるそうです。

少し調べてみましたら、

フランス人はデリケートゾーンを清潔にすることや脱毛をして見栄えを良くすることに気を遣う方が多いということが分かりました。

脇の脱毛はするけれどアンダーヘアはそのままの日本人をみてとても驚いたという記事も読みました。顔は洗顔フォームで洗うけどなぜデリケートゾーンは特別なケアをしないのか!ごもっともな意見です。

年齢がかさみ性行為に痛みを伴って。でもそのまま我慢というかたも多いです。


正直わたしは初めは「えっそんなことにまで?」と思ってしまいましたが。


ふと考えてみると、

自分のために使う時間やお金っておっくうになったり申し訳なかったりしますが、

それこそ何か変な気がしてきました。


最近思うのが、街をあるいていてきれいな方はだいたいヨガやストレッチや食事の勉強など体に気を遣っていて、健康に対する意識が高いということ。そして、自信に満ちあふれている方が多い。

自己投資がしっかりしているんですね。


もしかして、綺麗だから、自分を大切にしているのではなくて

自分を大切にしているから綺麗になるんじゃないだろうか・・・


見られていたらどんどん綺麗になる芸能人みたいに。


結婚したら旦那様に身を捧げて

赤ちゃんが産まれたら子どもに身を捧げて


そして子どもが巣立ったときに「空の巣症候群」になってしまう。

なんのために頑張れば良いか分からなくなってしまうのですね。

もちろん誰かのために頑張ることは素晴らしいことです。

ですが・・・


忘れてはいけません。

あなた自身のこと。

そう自分のことです。


お産後はマッサージを受けて自分に「お疲れ様」と言いましょう。

授乳が終わったら綺麗に乳房ケアを受けて「がんばりました」と言いましょう。

思春期の反抗期の子どもの対応をしたら他のママと話をして「これは自分のせいじゃない」と自分を慰めてあげましょう。


毎月くる月経に対しても同じです。

生理痛が強くても痛み止めを我慢したり頑張って働いたりしてしまいがち。

月経のためにどれだけのエネルギーを使うかご存じですか?

いつか宿るかもしれない新しい命のために自分の体はいつもフル活動。

それはやはりエネルギーがいることなのです。

休めないのであれば、お腹を温めましょう。

お灸やハーブもあなたを癒やすことでしょう。


子どものために服は買うけれど

自分のために服は買えない。

よく聞くセリフです。なんだか悲しくなりませんか?

たまに行く美容院で笑顔になることありませんか?

それは

あなたがあなたを愛したから。


そうそれこそがあなた自身必要なこと。


『自分を大切にすること』


フランス人のようにはなれなくても


少しだけ、自分をたいせつに。あなたという人をあなたが一番愛せますように。

そんな日がやってきますように。


さて

まずは、

毎日飲むお茶を自分好みに変えちゃいましょうか!

ひとつやってみましょう。