つながり

わたしには大切にしている友人がいます。
お友達を持つことは大したことでは無いと思うのでそのことは置いておいて(^^)

彼女との出会いは京都の看護学校。
はじめはわたしは助産師としてではなく看護師として産科で働いていました。
その産科の隣にあるNICUで働いていたのが彼女。

産科病棟では常にしんどくなった妊婦さんが入院していました。胎児の状況によっては、産科ドクターと小児科ドクターにて話し合いが何度も行われ、いつお産にするべきかが検討されます。
お母さんのお腹の張りが止まらない。薬で抑制していても副作用が強すぎる。でも胎児はまだ出したく無い。妊娠34週をすぎると肺のサーファクタントという物質がたくさん分泌され、生まれたあとの呼吸が守られます。だから、小児科的にはなるべくそこまで胎内にいてもらいたいのです。
そういう話し合いを重ねているうちに、また、実際早く生まれて呼吸が辛い赤ちゃんがでてきてしまうと、やはり小児科的には、「もうちょっと産科で耐えられなかったのか」と批判した考えが浮かんできます。

小児科と産科の間柄はてんびんのよう。

どちらも大切で、助け合いや理解し合うことは不可欠です。

そんな日々のなか、よく話したのが、わたしの友人Wちゃんでした。わたしは産科で、彼女はNICUで。透明の窓越しに話したり、終わってから休憩室ではなしたり。。。

彼女は、心底、母子について優しい考えを持つ人でした。批判のひの字もありません。そとで会っても夜飲みに行っても、ただひたすら、「どうしたら赤ちゃんにとって良い環境を提供できるか!」彼女の考えはいつも私を支えてくれました。

「あー、もうだめだ、なんでこんなことに」
赤ちゃんにとって、お母さんにとって、一番いい判断なんて正直難しいのです。

たとえ理不尽なことがあっても、
彼女は決して諦めない。
彼女の言葉からでる言葉は
「赤ちゃんは本当に可愛い」「守りたい」
でした。

あの日々、わたしが、たくさん母子の関係性を学べたのは紛れもなく彼女のおかげです。
目の前の母子から目を逸らしてはいけない。
彼女はいつも真っ直ぐでした。

実は彼女はいま、ちょっと元気がありません。心から、回復を願っています。
わたしが辛いとき、いつも励ましてくれ、正しい道に連れ帰ってきてくれたのは彼女でした。

みなさんは、辛いとき、友人とはどんな関係ですか?

たとえ何も出来なくても、わたしは出来る限り助けたい。

そういう時、わたしはいつも何かを作りたくなります。刺繍はとても時間がかかりますがそれだけ気持ちも入ります。ひとはりひとはり、「いままでありがとう」そんな気持ちをこめて縫いました。

気持ちとどくかな。。。

たくさんときめいていた人でも
疲れてしまうときはあります。
いや、もしかしたら、ときめいた人ほど疲れてしまうのかもしれません。

いつか、いつか、笑顔になれる日まで
ずっとまちたいと思います。

だって、わたしはあなたが大好きだから。
夢を語れない時も、ときめきを感じなくなってしまっても、
完璧な状態じゃなくてもいい。

あなたという人がすき。

いつか、これをみてくれてるあなたにも
きっとそう思うでしょう。

ママという生き物はいつも子供にときめいていますから。

いつかあなたにも会えますように(^^)




manma room

人生によりそう 齋藤出張専門助産院

0コメント

  • 1000 / 1000