その感情のうらがわに

こんにちわ。齋藤真也です。


感情的にものを言う人というのは、少なからず皆様の周りに一人はいるのではないかと思います。

その感情があふれ出てくる瞬間に時々でくわします。

なぜ、そんなに急ぐのか、怒るのか、上手くいかないとそんなに腹立たしいのか。

その方の背後にある問題に着目していれば見えてくる世界があります。


わたしは音楽活動をしていました。

作曲をし、シンセサイザーで編曲を行い、野外ライブをしていました。

初めは一人で趣味で気楽に行っていた活動でしたが、あるときそれは私にとって義務になりました。


なぜなら、助産師として働きながら双子育児をしていていたある日

一緒に頑張って来たママ友が自死するという事柄に出会い、自分が足りないことを知り、音楽活動を通して多くのママにメッセージを届けなくてはならないと思い込んだからでした。

子育てを応援する仕事をしていたのに、近くの友人が自死してしまった事が自分の不足の事態だと思ってしまったのです。

その時の事はいまでも鮮明に覚えています。

しばらく思考停止状態になり、ふと作った詩が彼女への詩でした。

これにメロディーをつけて曲を作りたくさんの場所で歌わなければいけない。そう義務感に押しつぶされていました。

作業している間は救われました。

まるでそのママへ懺悔をしているような時間。だったように思います。

助産師として働き、ママのため赤ちゃんのため、といっておきながらなぜ近くの問題に気付けなかったのかという自責の念が原動力となっていました。


ですが、共に音楽をしていた周りの友人からしたら理解できないことだったでしょう。

次第に義務が叫びに変わり、燃え尽き、一緒に活動している友人のエネルギーに疑問を感じてしまうようになりました。なぜ一緒に走ってくれないのか。

その先にあるのは孤独と絶望でした。

『そんなに頑張らなくて良い』

そんな仲間の言葉を聞いたとき、自分の中の何かがプツンと崩れ落ちていきました。

なぜあんなに頑張っていたのか、いまなら向き合う事ができますが、当時はとても苦しみ受容できる感情ではありませんでした。


激しい感情の先には、なにも残らない。


なぜなら、その感情は自分にしか分からない感情だからだと思います。


たとえ、その曲が多くのママの耳に届き、救う事ができたとしても、

わたしはきっと燃え尽きてしまっていたと思います。


あれから5年以上がたち、助産師としてまた復帰しています。

そのときとは違って、やれることを一つずつやっていこうという穏やかな原動力です。


そして最近5年前に経験したような、血相を変えた医療者をよくみかけています。

最近の子育て支援者はとても忙しく対応に追われています。

なぜってコロナ禍だからです。

行き場のない寂しさ、悲しさ、怒り、失望、そんなネガティブな思いがあたりを渦巻き、

どうにも助けてあげられない現状のなか、殺気だって働き続けています。

困っている妊婦さんや子育てご家族が急激に増えてしまっているからです。

なんとかして状況を回復していきたい。そう尽力していても、お金が足りない、人手が足りない、刻々と変わりゆく環境の変化に対応する学びの時間も足りていないのです。

懸命に働くあまり、自尊心が崩れ落ちてしまっている。

そんなスタッフがふえてきています。

私たちにも家族があり、支える場所支えられる場所があります。

そこさえも揺らいでしまうほど自分を犠牲にしてはいけません。

休むこと、好きな事をして自分を見つめる時間を持つことはなにより大切なことです。

特に人を癒やすような立場の人には、、、


わたしは復帰してからまだ二年という年月しかたっておらず、

こうしたらよいのではなんてアドバイスするような立場出ないことは重々承知ですが、

休んでほしい、

おさまってほしい、

生活の1分でも良いから深呼吸をする時間がありますように。

そう願っています。


子育てに勤しむママやご家族さまにも同じような事が言えると思います。


あなたはいまなぜそんなに頑張っていますか?

あなたはいま自分を尊い存在だと思えていますか?

もし、そう考える時間もないほど毎日におわれているのだとしたら。


それはあなたをいずれ壊してしまうかもしれない。


5年前に燃え尽きてしまったわたし自身を思い出しながら

ちょっと考えてしまう今日この頃です。


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