つい最近、またあらたないのちが誕生しました。
いつも思うのが、赤ちゃんが産まれてくるタイミングについて。
本当に一番よいタイミングで産まれてきます。
あしたは雪が降る予報だから動きにくそう(といっても降らなかったりしますが)。
そんな人間の予報を遙かに超えてきます。
お産介助が終わって帰宅途中に雪がふってきた前回のお産も驚きました。
お天気だけではなく、たまたまだんなさんの仕事の大事な会議が終わった後だったり。
ご兄弟の授業参観や運動会などが終わった次の日だったり。
祖母との喧嘩が和解された直後だったり、、、
それだけではありません。
介助する助産師のスケジュールまで、、、、いや、わたしの家族の行事までも丁度よかったりするのです。
なんていうベストなタイミングなのでしょう。
わたしはいつもバイクでお産のお宅にお伺いするのですが、
呼び出される日はだいたい車道が静まりかえっていて、なんだかいつもよりも運転しやすいです。これは、単にポジティブに感じているわけではありません。
はじめ、それはわたしの気持ちの持ち用なのかなと思っていたのですが、
どうもそうではないみたいです。
何年も自宅出産に関わっている助産師の先輩方はどうもそれが分かっているようで、
あしたお産が来たらどうしよう、という困ったタイミングの時も
「大丈夫、ちゃんと赤ちゃんが選んで産まれて来てくれるから。」
と落ち着いた表情で言うのです。
赤ちゃんて、そんなに広いところまで視野に入れて産まれてくるタイミングを決めているの??
いつもびっくりなのです。
いつ陣痛がくるか、もそうですが、いつ産まれるのかもそう。
お兄ちゃんが帰宅した瞬間、有効な陣痛が来てぐんぐん進み、無事ご兄弟立ち会いのもとお産が出来た、なんてよくあることです。
「運がよかった」
という簡単な言葉では済ませない気がしています。
全例そうだから・・・です。
だから、もしかしたら、
陣痛が中々来ないという状況の場合も、その赤ちゃんの思いがあるのかもしれません。
以前働いていた総合病院ではよく帝王切開の介助をしていたのでその時のお話をします。
お産というのは下から産まれてくる経膣分娩だけではなく帝王切開というお産があります。2017年で18.5%と結構な割合であります。
なぜ下から産まれて来ないのかという話しですが、理由はたくさんあります。
産道(赤ちゃんが通る道)の準備が整わない時、
陣痛が来ない時、
来ても陣痛と共に赤ちゃんの心拍が下がり辛そうと予測される時、
お腹の中の赤ちゃんが小さくて産まれるまでの道のりが辛いと思われる時、
それ以外にも、胎盤の位置や臍帯の付着部位が下から産まれるとリスクがある時や、
骨盤が扁平であったりして児頭が入れない解剖学的な理由など、他にも様々な理由があげられます。
そんな時は、帝王切開に切り替えるためにレントゲンや採血、陣痛と胎児心音を同時に測定しストレスがあるのかどうかを図る機械の波形などを確認し、医師が判断します。
ですが、それでも原因がはっきりしないことも多々あります。
原因はぱっとしないけどこれ以上待っても下からは産まれない様子がある。
そんなときも、今までの状況を総合的に判断してお産の方法として帝王切開を検討します。
そんな風に原因がぱっとしないまま帝王切開に踏み切ったケースには、
おもったより体重が小さかった、赤ちゃんが下からだと呼吸状態がうまく行かない可能性があった、想像以上に臍帯が短かった、など、産まれてから「帝王切開の方が結果よかった」という状況はよくあることです。
そういうことを経験していると、
赤ちゃんというのは、自分が最良の条件で無事産まれることが出来るよう、経膣・帝王切開も含めもっと広い視野で考えていると感じるのです。
(下から産もうと意気込んでいた母や家族からすると少しがっかりすることもあるかもしれませんが、帝王切開が最善だったということもある事を知って欲しいと思います。)
あかちゃんはもしかしたら、お臍の穴からこっちの世界を覗いているのでは?
という説もありますが、
いやいや
あかちゃんはもっともっと異次元でこの世界を感じ取っているのかも。
そもそも目に見えない程のミクロの世界ではじまった命。
赤ちゃんが生きている世界というのは私たちが見ている世界よりも
先を見通すことができるほど透明感があって感性の頂点と呼べるほど研ぎ澄まされた世界なのかもしれません。
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