バースレビュー

世の中のお母様がたはどのようなお産をしたでしょうか。


また、そのお産を子どもにどのように伝えていますか?


生理が始まり、好きな人ができて、結婚して、出産して、老いて、死んでいく。

人は生きている限り性を必要とし、

そこから生を受けています。

だから、自分はどのように産まれてきたのか それは性を知る最初の一歩なのです。


「あなたを産んだ日、それはそれは素晴らしい一日だったわ★」

そんな風に語れるなら

「わたしは産まれて良かった。産まれただけでお母さんをこんなにも幸せにしたのだから。」そう思うでしょう。


でももし、「あなたを産むときは最悪な一日だったわ。あんなに痛い思いはもう二度としたくない。」

そう語られてしまったら・・・

「わたしは産まれて良かったのだろうか」

そんな辛い記憶として刻まれてしまうかもしれません。


現に私の友人でトイレで産まれたという方がいらっしゃいました。

とても明るくて気が利く素敵な子だったのですが、

「わたしはトイレで産まれたの。だから私の人生はこんなもの。素敵な彼が出来るなんて思っていない。」そう皆に伝え自虐しており、どう返せば良いのか分からなかった事がありました。


お産とは本来母の体験と思われがちです。

ですが、子ども自身も頑張って産道を通り命がけで地上に出てきます。

そこから人生がスタートするわけですから、

お産を語る際は、子どもの身になって考える必要があると私は思っています。



ですが、中には本当に大変なお産をされた方もいるでしょう。

自然陣痛が発来せずに三日間の陣痛を耐えた

自然で産みたかったが緊急で大病院に搬送され緊急帝王切開になった

お産後に気を失い次の日に目が覚めたのであまり覚えていない

産まれてからすぐ赤ちゃんが呼吸不全となり入院になり呆然とした

分娩室に間に合わずトイレで出産するケースも珍しくはありません

なかには死産してしまう場合もあり深い悲しみの中に置かれてしまいます


すこし踏み入ってお産について調べてみますと、

厚生労働省の日本の統計では1900年の妊産婦死亡は6240人(人口約4600万人)

2015年34人(人口約1億709万人)であり、医療の発達により妊産婦死亡率も減り緊急対応が早くなった事が考えられますが、1900年の結果から見ても本来お産とは絶対大丈夫ということは一切なく、危険を伴うものなのです。


ですから、いくらかの人がお産に対して悲観的に捉えていてもおかしくはないのです。

「すごく素晴らしいお産だった」と一言で片付けることは出来ないという人も実はたくさんいるのではないでしょうか。


楽しいことや幸せだったことはたくさんシェア出来ますが、

辛かったことはシェアしにくい。

だから、お産のことを話すのはやめて心に止めておく。

そんな方もたくさんおられるのです。



もしあなたが、自分が経験したお産に対して傷を抱えていたら、、、

助産師である私になにかできることはないだろうかと思います。



最近、性教育の現場で「自分の産まれた時の様子を家の人に聞いてみてね」と伝えたことがあります。言ってしまったあと、すこし後悔しました。

なぜなら、その保護者の方のバースレビュー(お産の振り返り)まで確認していなかったからです。


バースレビューはとても大切です。一人目のお産になにか傷を残していると次のお産の時にそのトラウマが出てくることも多々あります。

また、そのバースレビューがとても悲惨なものだった場合、こども自身の傷にもなり得るということです。



かなり前に経験したことですが、ある患者様のお宅に訪問に行った際、子育てに手をつけられないというお母様がいらっしゃいました。

そのかたは私にこう言いました。

「わたしは産まれたときこの子を抱きしめる事が出来なかった、わが子はすぐに呼吸器につながれてしまい面会も出来ず、泣き続けていたのかと思うと本当に情けない。わたしは産まれてすぐにカンガルーケアをするのが夢だったのに。」

それを聞いたとき私は感情移入して一緒に泣いてしまいました。

そして、その日、部屋を暖かくして母子の上半身を肌で感じられるように裸にしてカンガルーケアをおこないました。

通常訪問は一時間くらいで終わりますが、ゆっくり母子が落ち着くまでそばにいることにしました。

最初は今やっても仕方がないと言っていたお母様でしたが

裸になったわが子の暖かさ、かわいさ、身を委ねるような視線、、、

気付いたら涙をながされていました。

「いまでも出来るんですね。あのとき、すぐに抱っこできなくてごめんね。おかあさんを許してね。」

そんな声をわが子にかけるお母様をみて、なんて美しいんだとわたしも一緒に泣きました。


心の傷はこうして少し軽減されたのではないかと淡い期待をいだきました。



子育ては産んでからずっと続いていきます。

もしなにか傷を抱えていたら、深い悲しい経験として残っていたとしたら、

長く続く子育てを元気にスタートすることが出来るでしょうか。

助産師としてなにが出来るでしょうか。

まずはどんなことが辛かったのか思い出してみましょう。そのお産の現場にいなかったとしても一緒にイメージすることは出来ます。聞いてみて、なぜそうなったのか、その傷をどうすれば軽減することができるのか一緒に向き合っていきたいなと思っています。



バースレビューはお母様だけのものではありません。

お子様はお産の話を聞いてどう感じているでしょうか。


わたしは助産師であるにも関わらずお産の話をしてとても後悔することがありました。


わが子が小学校で1/2成人式の時、どのように自分が産まれてきたのかリサーチしよう、そんな宿題が出されました。

(双子だったので、少し変わっています。)

お産の経過をたくさん話した後、どうやって出てきたかの質問に対し、息子が先に頭から出てきて娘は足から出てきたのよと伝えました。娘はそれが印象深くのこったらしく、

「兄がでた30分後、わたしは足から出てきました。」

と発表したらしいのです。そうするとクラスがざわめき、

えっ足から??そんなの大丈夫??

と多くの子から質問を受け、わあーっと湧いたそうです。

わたしもきちんとどのようなことか説明すれば良かったと思いました。

わたしは足から産まれてきた。

それが娘の頭から離れないようで、自分は普通ではないのか大丈夫だったのかとバースレビュー(お産を聞いた娘の感覚もバースレビュー)は最悪でした(-_-;)

なので私が産んだときの双子お産のDVDを観せました。

そしたら、それまた最悪。

「ぎゃー」とわたしが叫んでいるものだから娘はお産に対して怖いと思ってしまい、DVDを最後まで観ることすらできませんでした。


それから1年がたち、昨日わたしがあるイギリス映画『Call the midwife』

を観ていたら娘が近寄ってきました。珍しいなあ、お産は嫌だと言っていたのに、

そう思っていたら一つのお産のシーンが始まりました。

それはなんと双子の出産シーンで、しかも男女の双子で、一人目は頭が下、二人目は逆子で足から出てくるお産でした。(わたしも本当びっくり)まるで一緒じゃん。


それは本当にわたしが経験したかのようなお産で、足から出てきた子どもも穏やかな顔をしていて素晴らしいお産のシーンでした。


それを私と娘で二人で観て本当に出産したときのように「ヤッター産まれたね」と話しました。

その時の娘はとても幸せそうでした。

娘にとってお産のイメージを悲観的なものから変えるのは今しかないと思いこう伝えました。

「うまく伝えられなかったけど私もこうやって幸せな気持ちであなたを産んだの。双子だったから大変だったけどね。そのあと息子はすぐに呼吸不全になって入院したけどあなたは私の隣にすぐ来てくれた。それがどれだけ心強かったことか。いまもあなたに助けられているけど、産まれてすぐの時ですらあなたの存在に助けられていたのよ。ありがとう。」


娘はお産が怖いとは言いませんでした。感動している様子でした。


よかった。


ようやく娘のバースレビューは良いものになったようです。

わたしは大きな宿題がやっと解決したような気持ちでした。



バースレビューは話す側のお母様の心情も大切ですが、

受ける側の子どもがどう感じたかも大切なのですね。この二年間でわたしが娘を通して学びました。

 


さて、あなたはどう子どもに伝えていきますか?


(バースレビューを新しく産後メニューに追加しました。いまはまだ無料とさせていただいています。どうぞこの機会にご検討ください(^^)。)





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